2019年9月3日火曜日

参考文献・ウェブサイト

「横浜は日本一のこいのぼり生産地だった」参考文献・ウェブサイト


■【なっ染業界コイノボリによみがえる 全国シェアの八割 出荷最盛期 方向転換が大当たり 伝統技術で全国制覇】1974(昭和49)年3月7日 読売新聞朝刊 神奈川版

■藤沢藤一【藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに】 1987年 神奈川県立図書館蔵

■【インタビュー 日本初の合成繊維鯉のぼりを発売しトップメーカーに 小菅克祥 東旭株式会社 代表取締役社長】『ふぎんレポート』No.163 2013年2月号

小林捺染工所

※小林捺染工所では、藤沢株式会社でこいのぼりの染色に携った方が、こいのぼり製造を行っている(本サイト管理者が書簡にて確認)

■仲俣正之【こいのぼり捺染工場】 『市民グラフ ヨコハマ』No.40(1982年=昭和57年)p32

■以下、藤沢藤一【藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに】から抜粋。

藤沢藤一。横浜スカーフ業界を代表する藤沢株式会社の会長・・・

業界の最長老である・・

藤一の歩んだ道は・・・横浜のスカーフ業界史と重なる・・・

実は「藤沢」は、こいのぼりを作る日本一のメーカーで、

昭和四十年に「こいのぼり部」を新設し、この分野を開拓してきた・・・

輸出スカーフは毎年、どうしても九月ごろにヒマになる。

この時期にスカーフ、マフラーなどで培ってきたプリント技術を生かして

何かうまい仕事はないものか、と藤一は考えた。

そんなとき、あるこいのぼりメーカーから見本を作ってほしいと注文がくる・・・

こいのぼりのプリント地を作ってくれるところがなく困っている・・・

藤沢のこいのぼりとある程度認められるまでに五、六年・・・

徹底したテレビ宣伝。各地方局のゴールデンタイムに、億単位の金をかける。

こいのぼりでテレビ宣伝したのは藤沢が初めてだ・・・

ナイロンの登場で、堅牢で鮮明な染色、軽くて強い・・・

丈夫で長持ちし、軽いから揚げたときに垂れずに風をはらむ・・・

毎年、他社にない新製品を発表した。

特殊な染めの「黄金ごい」や染めを発展させた金染色、光に当ると七色に変化するアルミ箔を施した「ダイヤモンドごい」など、オリジナル商品を次々と・・・

「藤沢」こいのぼりは、旧態いぜんとした赤と黒のイメージを変革し、

あでやかなものに一変させた・・・

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