「横浜は日本一のこいのぼり生産地だった」参考文献・ウェブサイト
■【なっ染業界コイノボリによみがえる 全国シェアの八割 出荷最盛期 方向転換が大当たり 伝統技術で全国制覇】1974(昭和49)年3月7日 読売新聞朝刊 神奈川版
■藤沢藤一【藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに】 1987年 神奈川県立図書館蔵
■【インタビュー 日本初の合成繊維鯉のぼりを発売しトップメーカーに 小菅克祥 東旭株式会社 代表取締役社長】『ふぎんレポート』No.163 2013年2月号
■小林捺染工所
※小林捺染工所では、藤沢株式会社でこいのぼりの染色に携った方が、こいのぼり製造を行っている(本サイト管理者が書簡にて確認)
■仲俣正之【こいのぼり捺染工場】 『市民グラフ ヨコハマ』No.40(1982年=昭和57年)p32
■以下、藤沢藤一【藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに】から抜粋。
藤沢藤一。横浜スカーフ業界を代表する藤沢株式会社の会長・・・
業界の最長老である・・
藤一の歩んだ道は・・・横浜のスカーフ業界史と重なる・・・
実は「藤沢」は、こいのぼりを作る日本一のメーカーで、
昭和四十年に「こいのぼり部」を新設し、この分野を開拓してきた・・・
輸出スカーフは毎年、どうしても九月ごろにヒマになる。
この時期にスカーフ、マフラーなどで培ってきたプリント技術を生かして
何かうまい仕事はないものか、と藤一は考えた。
そんなとき、あるこいのぼりメーカーから見本を作ってほしいと注文がくる・・・
こいのぼりのプリント地を作ってくれるところがなく困っている・・・
藤沢のこいのぼりとある程度認められるまでに五、六年・・・
徹底したテレビ宣伝。各地方局のゴールデンタイムに、億単位の金をかける。
こいのぼりでテレビ宣伝したのは藤沢が初めてだ・・・
ナイロンの登場で、堅牢で鮮明な染色、軽くて強い・・・
丈夫で長持ちし、軽いから揚げたときに垂れずに風をはらむ・・・
毎年、他社にない新製品を発表した。
特殊な染めの「黄金ごい」や染めを発展させた金染色、光に当ると七色に変化するアルミ箔を施した「ダイヤモンドごい」など、オリジナル商品を次々と・・・
「藤沢」こいのぼりは、旧態いぜんとした赤と黒のイメージを変革し、
あでやかなものに一変させた・・・
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