2019年9月3日火曜日

横浜はケチャップ発祥の地? 参考文献・ウェブサイト

復刻製造販売している横濱屋本舗

伊藤泉美『西洋野菜とトマト・ケチャップのふるさと』 横浜市市民局広報課『横濱』通号8号 2005年春号

『幻のケチャップ再現 横浜・清水屋 「国内初」の味 商品化』 朝日新聞神奈川版 2007年10月7日(日)33面

『ケチャップの“元祖”を再現 横浜の企業が「国産第1号」復刻 「ナツメグ」隠し味に』 神奈川新聞 2008年1月6日(日)20面

伊藤泉美『開港場物語49 西洋野菜 ケチャップ製造の先駆け』 読売新聞神奈川版 2008年1月13日 朝刊20面

『ケチャップの歴史をたどる YOUテレビ 国内先駆け「清水屋」特集 明治29年から製造 宮内庁御用達』毎日新聞 2008年5月9日 24面

伊藤泉美 『資料よもやま話2 子安清水屋のトマト・ソース製造』 『開港のひろば』104号 2009年4月22日 p6~7

『西洋野菜栽培とケチャップのふるさと 神奈川区・子安通り 地元の歴史残したい プレート完成』 東京新聞 2011年2月25日(金)22面

『レジェンドかながわ ケチャップ(横浜市神奈川区) トマトソース「子安発祥」 復刻「清水屋」世界へ』 読売新聞2015年11月8日朝刊32面

明石智代『横浜発祥のケチャップ復刻のカギは調査!横濱本舗・丸山和俊さん』 『地域で見つけるエコの種 森ノオト』2017年2月8日

丸山和俊『横浜トマトケチャップヒストリー』 『相鉄瓦版』252号 2018年6月 p25~35

参考ウェブサイト


「横浜ではフェリスをふえりすという」参考ウェブサイト


フェーリス??(ID:1758292) - インターエデュ

名門の名は浜ことば

名門の名は浜ことば
高橋幹夫


ひとり娘が産まれて、

「名前、エリっていうのはどうかな。今どきの変に凝った名前じゃなくて。字は、漢字というのも硬いし、ひらがなはかえって気取ってるし、カタカナで「エリ」っていうのはどうかな」とボクが言うと、ウチの奥さんは優しい表情で、

「そうね」と言った。

実は、その時、隠していたことがあった。いや、隠そうとして隠したんじゃない。

そのひとり娘のエリは、小学校に入学すると、我が子ながら、なかなか出来が良く、夫婦共に横浜生まれ横浜育ちのウチの奥さんとボクは、

「それなら、やっぱり、目指すはフエリス!」とハイタッチ。自分たちは中学高校と公立だったからなおさらだ。

「そうだ、このネットの書き込み、見てご覧」

「横浜で生れ育った方に質問です。私もハマっ子ですが、「Feリス」のこと、「フエリス」って言いますよね。幼なじみや、ご近所の「フエリス」出身のおばあちゃま、皆、「フエリス」と言います。最近は、面倒ですが、相手によって、「Feリス」と「フエリス」を使い分けています。横浜出身者は、皆、そうなのでしょうか。この、「Feリス」と「フエリス」の違いはどこから来ているのでしょう?」

「「フエリス」ですか、なつかしい響きですね。若い頃、「フエリス」の女の子の後ろ姿に、胸をときめかせたものです。こちらに引越してからは、「Feリス」と言わざるを得なくなり、「フエリス」と口にするのも、あのときめきを思い出すのも心の中だけになってしまいました」

「そういえば崎陽軒の「シウマイ」も「シュウマイ」ではなく、「シウマイ」。昔の人は「Fe」とか「Shu」とか、小さい「ェ」、小さい「ュ」が苦手だったのかも」

「明治時代は、漢字で、「ぬの」、「めぐみ」、お利口さんの「利」、横須賀の「須」と書いて、「布恵利須」だったそうです」

ウチの奥さんとボクは声を揃えて一緒に笑った。

「やっぱり、フエリスは、フエリスじゃん」

「それにしても、ウチのエリって、なかなかいい名前ね、フエリス合格、間違いないわ。エリがフエリス。名前を付けた時は、全然意識しなかったけど。あの子は、あの子の世代はフエリスじゃなくてFeリスって言うけど」

はまっ子同士だからこそ、一緒に笑えて、嬉しくて、ボクは気が緩んでしまったからか、つい、失言してしまった。

「いや、意識してたさ、考えてたさ」

ウチの奥さんの表情が変わった。

「え?どういうこと?」

白状した。初恋の子がフエリスだったということを。自分は公立、彼女はフエリス、ボクの思いに気付いてもらえないまま、遠ざかっていってしまったことを。隠そうとして隠したわけじゃない。というか、意識していた、考えていたと言ってしまったけど、特に意識してたわけじゃない、考えてたわけじゃない。

「エリは、エリの世代は、フエリスじゃなくて、Feリスって言うから、いいようなものだけど、これで、フエリスに合格できなかったら、パパの初恋の人の出身校から取った名前だなんて分かったら、フエリス落ちたらどうするの?」

「いや、別に彼女のこと、意識してたわけじゃないよ、別に考えてたわけじゃないよ。ただ自然に・・・偶然なんだよ」

「さっきは、違うこと言ったじゃない」

「それはそういう意味じゃなくて」

「じゃ、どういう意味?」

こんなことも、あったけど、エリは見事、フエリスに合格してくれた。

ボク達は、心境は微妙に違っていたけれど、声をそろえてエリに言った。

「エリ、フエリス合格、本当におめでとう」

「パパもママも何度言ったら分かるの。恥ずかしいから、ちゃんとFeリスと言って」

参考文献・ウェブサイト

「横浜は日本一のこいのぼり生産地だった」参考文献・ウェブサイト


■【なっ染業界コイノボリによみがえる 全国シェアの八割 出荷最盛期 方向転換が大当たり 伝統技術で全国制覇】1974(昭和49)年3月7日 読売新聞朝刊 神奈川版

■藤沢藤一【藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに】 1987年 神奈川県立図書館蔵

■【インタビュー 日本初の合成繊維鯉のぼりを発売しトップメーカーに 小菅克祥 東旭株式会社 代表取締役社長】『ふぎんレポート』No.163 2013年2月号

小林捺染工所

※小林捺染工所では、藤沢株式会社でこいのぼりの染色に携った方が、こいのぼり製造を行っている(本サイト管理者が書簡にて確認)

■仲俣正之【こいのぼり捺染工場】 『市民グラフ ヨコハマ』No.40(1982年=昭和57年)p32

■以下、藤沢藤一【藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに】から抜粋。

藤沢藤一。横浜スカーフ業界を代表する藤沢株式会社の会長・・・

業界の最長老である・・

藤一の歩んだ道は・・・横浜のスカーフ業界史と重なる・・・

実は「藤沢」は、こいのぼりを作る日本一のメーカーで、

昭和四十年に「こいのぼり部」を新設し、この分野を開拓してきた・・・

輸出スカーフは毎年、どうしても九月ごろにヒマになる。

この時期にスカーフ、マフラーなどで培ってきたプリント技術を生かして

何かうまい仕事はないものか、と藤一は考えた。

そんなとき、あるこいのぼりメーカーから見本を作ってほしいと注文がくる・・・

こいのぼりのプリント地を作ってくれるところがなく困っている・・・

藤沢のこいのぼりとある程度認められるまでに五、六年・・・

徹底したテレビ宣伝。各地方局のゴールデンタイムに、億単位の金をかける。

こいのぼりでテレビ宣伝したのは藤沢が初めてだ・・・

ナイロンの登場で、堅牢で鮮明な染色、軽くて強い・・・

丈夫で長持ちし、軽いから揚げたときに垂れずに風をはらむ・・・

毎年、他社にない新製品を発表した。

特殊な染めの「黄金ごい」や染めを発展させた金染色、光に当ると七色に変化するアルミ箔を施した「ダイヤモンドごい」など、オリジナル商品を次々と・・・

「藤沢」こいのぼりは、旧態いぜんとした赤と黒のイメージを変革し、

あでやかなものに一変させた・・・